導入
介護疲れや認知症、終末期医療の現場で悲劇が続く日本。
介護殺人や孤独死が報道されるたびに、「安楽死があれば防げたのでは」と考える人も多いでしょう。
しかし、日本では安楽死制度が議論されることすらほとんどありません。その理由を社会構造の視点から探ります。
1. 介護殺人が増える現実
- 日本では年間数十件の介護殺人が報告されます。
- 多くは本人の意思が確認できない認知症や寝たきり高齢者。
- 家族は疲弊し、限界の中で“楽にしてあげたい”と手を下すケースも。

2. 表の理由:「命の尊厳」と倫理観
- 法律:刑法199条「殺人罪」は本人の同意があっても成立。
- 倫理:仏教・儒教の影響で「命を奪うこと=悪業・不孝」とされる。
- 社会通念:死を自分で選ぶことはわがままと見なされがち。

3. 裏の理由①:医療産業の延命ビジネス
- 高齢者医療が医療費の約4割を占める。
- 長期入院、人工呼吸器、胃ろう、透析などは病院の重要収益源。
- 安楽死が合法化されれば延命治療の市場が縮小。
→ 医療機関にとって不利益。

4. 裏の理由②:高齢者票を失えない政治
- 高齢者は有権者の約半数で、投票率も高い。
- 安楽死を認めることは「高齢者を見捨てる」と受け取られる可能性。
- 政治家にとって安楽死制度は支持を失う危険なテーマ。

5. 戦後体制が作った“生命の呪縛”
- 戦時中の優生思想や安楽死政策の反省から、戦後制度は「命を奪う行為は絶対悪」と構築。
- 司法・医療も「命を守ること」を最優先する文化が定着。

6. 安楽死があっても救えない介護殺人
- オランダやスイスでは嘱託殺人は制度でほぼ防止される。
- しかし、認知症や意思を示せない患者は対象外。
- 日本では制度がないため、家族の疲弊が直接事件につながる。

7. 結論:誰のための「命の尊厳」なのか
- 表向きは「命の尊厳」を守るための制度・文化。
- 実際は、医療産業の利益と政治的利害、政界と医師会の癒着が制度化を阻む。
- 安楽死がなくても、家族が死に直面する現実は変わらない。
- 真の課題は、命の制度ではなく、家族・患者を孤立させない社会構造にある。
「延命を維持すること」が国家的な利益構造として固定化され、
その結果、安楽死は“倫理的に議論できない話題”として封印されている。
日本社会では“生かされること”が制度的正義であり、
“死を選ぶ自由”は黙殺され続けているのだ。