1. 導入:見かけ上の「変化」と支配の持続
政治の世界では、しばしば「変化」が演出される。
新しい顔、新しい言葉、新しい価値観──。
しかし、政治の根幹を支える構造が変わらない限り、それは“演出された刷新”にすぎない。
裏金問題、統一教会問題で支持率ガタ落ち自民党において、
高市早苗の登場は、まさにその典型だ。
「女性初の保守総理」「タカ派の希望」といった看板が並んだが、
その実態は、戦後日本が一貫して守り続けてきた対米従属構造の上にある。
一方、
米国、ガザ虐殺で支持率ガタ落ちの米国民主党において、
ゾーラン・マンダニの父親、マフムード・マンダニは社会学者。
植民地支配の終焉後も「支配の仕組み」が生き続ける現象を指摘した。
彼によれば、独立後の国家とは、旧宗主国に代わって新たなエリートが支配を代行する構造であり、
“権力は変わったように見えて変わっていない”のだ。
高市現象をマンダニの視点から読み解くと、
日本の「戦後保守」とは、アメリカ的支配を継続させるための擬似的な独立装置であることが見えてくる。
2. マンダニ理論の要点:脱植民地の中の植民地
2.1 『Citizen and Subject』が描いた「制度的植民地」
マフムード・マンダニが1996年に発表した『Citizen and Subject』は、ポスト植民地主義研究の代表作であると同時に、
「支配は民族ではなく制度によって維持される」という、権力構造の本質を突いた理論書でもある。
彼はこう述べる。
「植民地支配とは、民族支配ではなく制度支配である。」
この一文にすべてが集約されている。
すなわち、支配の主体(白人・宗主国)が去っても、支配の仕組み──行政・司法・教育・軍──がそのまま残る限り、
“独立”は形式的に過ぎない。
2.2 独立後も続く「市民と被支配者」の構造
マンダニによれば、植民地国家の構造は「市民(citizen)」と「被支配者(subject)」という二層で成り立っていた。
- 市民:都市に住み、政治参加や法的権利を持つ少数のエリート。
- 被支配者:農村や地方に住み、伝統と秩序の名のもとに管理される大衆。
独立後、この二層構造は解体されず、むしろ「民族独立」という正当化のもとで再強化された。
解放運動の指導者たちは“英雄”として登場し、
「我々の手で国を取り戻した」と宣言するが、
その背後では旧宗主国との経済・軍事関係が温存され、
支配の正統性だけが塗り替えられる。
主要な特徴
- 市民 (Citizen/国民):
- 宗主国(植民地を支配する側の国)の出身者や国民を指します。
- 近代国家における市民と同様に、一定の政治的参政権(選挙権や被選挙権など)や市民的自由(表現の自由、移動の自由など)を享受する権利が公式に保障されていました。
- 植民地においては、行政、軍事、経済の中枢を担う特権的な階層として機能しました。
- 被支配者 (Subject/臣民/住民):
- 植民地化された土地の先住民や住民を指します。
- 多くの場合、宗主国の「臣民」として扱われましたが、宗主国本土の国民とは異なり、政治的参政権はほとんど、あるいは全く認められませんでした。
- 法的・社会的に従属的な地位に置かれ、宗主国への忠誠心や義務が強く求められる一方で、市民としての権利は制限されていました。
- 教育、居住区、職業などにおいて、市民との間に明確な差別が存在することが一般的でした。
2.3 戦後日本における「制度の植民地」
この構造を戦後日本に重ねると、驚くほど符合する。
- **旧宗主国(米国)**が設計した占領政策は、憲法・教育・報道・軍事の制度として固定化。
- **現地エリート(自民党・官僚・財界)**がその運用者として、体制の維持を代行。
- **国民(被支配者)**は選挙とメディアによって統合され、民主主義の“演出”の中で管理される。
つまり、日本は「植民地から独立した国家」ではなく、
占領体制を“制度として永続させた”国家なのだ。
形式的な主権の下に、制度的な従属が巧妙に組み込まれている。
2.4 ゾーラン・マンダニは“父の理論を再演出する者”
ここで登場するのが、マフムードの息子ゾーラン・マンダニである。
彼はかつてB級ラッパーとして活動を行い、いまは民主党系の政治家として“弱者の味方”を演じる。
だがその姿は、父が告発した構造の「新しい演出」に見える。
すなわち、反体制の言葉を使いながら、体制の持続を更新する存在。
それは日本でいうところの目立ちたいだけ中身のない神谷宗幣や山本太郎、あるいは維新的ポピュリズムにも通じる。
「変わったように見せることで、変わらない体制を維持する」──
ゾーラン・マンダニの登場は、父の理論が現実政治において皮肉にも完成してしまった瞬間と言えるだろう。
3. 日本の“戦後植民地”構造
敗戦後、日本は形式上「独立」を回復した。
しかし実質的には、アメリカによる制度支配が続いている。
その骨格を担うのが、以下の三位一体構造だ。
- 官僚機構:GHQが整備した中央集権型行政。アメリカ的官僚制度の模倣。
- 財界:占領期に米国資本の供給を受け、貿易・金融面で完全に依存。
- メディア:検閲の名残を引き継いだ「自己検閲構造」と広告支配。
この構造を政治的に守り抜いたのが、自民党である。
彼らは“反共・保守”の看板を掲げ、アメリカの庇護のもとで安定を維持してきた。
そして、それを「戦後保守の伝統」として正当化してきた。
だが、その“保守”とは本来の意味──
国体・文化・独立を守ること──ではなく、
アメリカ的統治秩序を守る保守だった。
4. 高市早苗という“アップデートされた象徴”
高市早苗の登場は、戦後保守体制の「ブランド刷新」として極めて象徴的である。
彼女は長年、「憲法改正」「強い日本」「反中韓」「靖国派」などの看板で支持を集めてきた。
だが、総理就任後に見せた姿勢は、従来の保守像とは真逆である。
- 靖国参拝をやめ、外交判断もできる政治家を演出
- 「韓国コスメ・韓国ドラマ」発言で親韓イメージをアピール
- 対中強硬を演出しつつ、経済ルートでは関係維持
- 防衛費増額を掲げ、米国製兵器を大量購入
これらは「愛国的強硬派」のポーズをとりながら、
実際には対米依存をより強める行動である。
つまり、保守を演じながら体制を守る“新しい顔の旧体制”。
高市は、その象徴として登場したにすぎない。
5. 「変わらない権力」を支えるメディアの演出技術
この“演出政治”を成立させているのが、メディアの構造的役割だ。
メディアは高市を「改革的女性宰相」「安定感のある保守」として美化し、
靖国不参拝や親韓発言といった変質には触れない。
また、SNS上では「反韓」「反中」「防衛強化」といったキーワードを繰り返し流し、
支持者に“保守的錯覚”を植え付ける。
これは、戦後日本における「統治の更新システム」と言える。
つまり、言葉とイメージで体制を刷新したように見せかけ、
実際は権力の中枢を動かさない仕組みである。
政治家が演じ、メディアが映し、国民がそれを信じる。
“民主主義的演出国家”の完成形がここにある。
6. 戦後保守の終焉と「自立」の再定義
高市現象は、戦後保守の最終段階を示している。
保守という言葉が「アメリカ的支配秩序の維持」を意味するようになり、
それを“国益”と信じる国民心理まで作り上げてしまった。
しかし、マンダニの理論に立ち返れば、
本当の「独立」とは支配の制度を疑い直すことだ。
真の保守とは、外的権力に依存せず、自国の文化・経済・外交を自立的に築くこと。
それを忘れたとき、政治はどれほど新しい顔を並べても、
代理支配の再演にすぎない。
7. 結語:顔を変えても構造は同じ
マンダニが見たアフリカの“脱植民地の罠”は、
日本の“戦後保守”にもそのまま当てはまる。
高市早苗という存在は、
戦後日本が自らの属国的体質を更新しながら維持するための最新の装置だ。
政治家が変わっても、体制は変わらない。
変わらない体制が「変わったように見せる技術」を洗練させたとき、
民主主義は形骸化し、国家は「永遠の被統治者」として固定される。
問われるべきは、誰が変わるかではない。
なぜ変わらない構造を信じ続けてしまうのか──その認識そのものである。